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3月1日 東大寺の二月堂で修二会がはじまる

修二会アイキャッチ画像 暦日和

今日3月1日は「修二会(しゅにえ)」に書こうと思います。

みきみかん
みきみかん

今年はじめて行ってきました。

お松明の後に二月堂の雰囲気がとてもよかったです。

修二会は東大寺・二月堂で3月1日から14日深夜まで行われる日々の過ちを十一面観音に懺悔し、国家安泰や五穀豊穣などを祈願する仏教の行事です。

一般に「お水取り」の名前で知られ、二月堂で行われる大きな松明の炎はテレビや新聞で取り上げられていて有名です。春の風物詩のため多くの観光客や見物人が訪れます。

もしあなたが、毎日をもっと輝かせたいという夢や願望があるのなら「今日は何の日かな?」と『365日、暮らしのこよみ』を読むと理想に近づくヒントがありますよ。

修二会は途切れることなく今に続く不退の行法

御松明がはじまる2時間前くらいから待ちました

修二会は薬師寺や法隆寺、長谷寺など全国のお寺で行われる法会ですが、なかでも東大寺・二月堂が有名です。

現在は3月1日から14日間に渡り行われていますが、修二会は旧暦の2月に行われていたので、修二(月)会と呼ばれます。

二月堂の修二会は東大寺初代別当の良弁の弟子である実忠(じっちゅう)が752年に始め、それ以来一度も中断されることなく続けられており、令和5年で1272回目を行った不退の行法です。

修二会の正しい名称は十一面悔過法要

この扉の向こうで不退の行法が行われています

修二会は「お水取り」の名称で親しまれていますが、修二会の期間は3月1日から14日まで行われます。お水を取る行事は12日から13日にかけての深夜に井戸から汲まれます。

華やかなお松明が印象的であるために修二会はイベント的ですが、正しくは「十一面悔過法要(じゅういちめんけかほうよう)」といいます。

十一面悔過は二月堂のご本尊である十一面観音菩薩に、私たちが日頃犯している色々な過ちを懺悔することを意味しています。この懺悔によって天下泰平・五穀豊穣など国家や市民の幸福を願います。

修二会を勤める練行衆と支える童子たち

御松明と共に歓声があがります

この悔過法要を勤める僧侶たちのことを参籠衆とか連行衆と呼び、11名から成り立っています。また連行衆を支える仲間(ちゅうげん)と童子(どうじ)がおり40名くらいがサポートしています。

童子は最終日には8メートルにもなる巨大な松明で二月堂へ向かう連行衆の足下を照らす役目があります。

そして、二月堂に上がりきったら欄干で松明の火の粉をまき散らし、観光客や見物人の罪穢れを祓うかのように二月堂を駆け巡ります。

其の他には三役といって堂童子・小網(しょうこう)兼木守(こもり)・駈士(くし)がおり、二月堂以外に関わる修二会の雑務を担当します。

神道の大祓や祈年祭の対のような修二会

2月は立春を迎えます。太陽の動きとともに生活があった昔は、春が立つ日を新年としていました。年神様を迎えるために大掃除を追儺式や大祓式を行い罪穢れや災いを祓い清めます。

また、旧暦の2月4日・現在は2月17日に祈年祭が行われています。祈年祭は宮中や伊勢神宮など主要な神社では五穀豊穣・特に稲作の豊穣を祈願します。

新しい年を迎える前の行事や五穀豊穣を祈願することから考えると、大祓や祈年祭が合わさって仏教で行われているのが「修二会」と捉えてもよいかもしれませんね。

実は何度も危機的状況を回避してきた修二会

私がよく見かける注連縄とちょっとタイプが違いますね

修二会は「不退の行法」といいましたが、何もなく1272回も続いたわけではありません。東大寺は源平の戦いなどで何度も火事に遭っており、二月堂でも1667年に火事を起こし2年間別のお堂で修二会が行われました。

戦時下では修二会の行法途中で3名の連行衆が召集されたり、明かりを規制されたり物資不足だったりと危機的な状況がありました。

修二会が「不退の行法」といわれるのは東大寺にとって修二会が大切な法会であり多くの人からの支えがあったからです。

修二会のことを知り始めると御松明だけがクローズアップされているような気がします。御松明が私たちに振りかざされている時に連行衆の下駄の音が響きます。

今年もコロナ禍のため二月堂の中に入ることはできませんでしたが、扉の向こうで確実に行われている法要の気配が伝わってきて感動しました。