3月12日の深夜に東大寺・二月堂でお水取りが行われます。3月1日から行われてきた修二会はこの「お水取り」の名前で親しまれ、いよいよクライマックスを迎えます。
このページでは「お水取り」について書いていきたいと思います。
二月堂下の井戸は注連縄が張ってあります。
神聖な場所には神仏関わらず注連縄を張りたくなっちゃうのかもしれませんね
『365日、暮らしのこよみ』のページを参考にこの記事を書いています。もちろんコピペではありません。この本を読めば日本のお祭りや伝統も知ることができますよ。
お水取りの起源は神様の遅刻
「お水取り」の名前で親しまれている修二会は3月12日の深夜(13日の午前1時半頃)に二月堂前の閼伽井屋の井戸から汲まれ十一面観音に供えられます。そのために、「お水取り」と言われるようになりました。
実はこれには伝説があって、実忠和尚が「神名帳」を奉読し全国の神々を二月堂に勧請した時に、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)は魚釣りをしていて遅刻をしてしまいました。
遅刻したお詫びに閼伽水を出し観音様に捧げることを約束しました。岩の間から白と黒の鵜が飛び出すと、甘い水が湧き出しました。石で源泉を囲って閼伽井または若狭井とした、と言われています。
閼伽(あか)とは仏教では供養の水のことを閼伽といいます。
お香水は参拝者にも配られる
若狭井から汲まれたお香水は白い布がかぶせられた桶に入れられ、祭壇(須弥壇)の下、北面、南面にある香水壺に納められ、十一面観音にお供えされます。
北面ある香水壺だけを根本香水といい、お水取りが始まって以来ずっと継ぎ足される原始の水です。
お香水は連行衆の「走り」の行法の後に参詣者にも一滴ずつ配られます。
「走り」は天上界と人間界の時差を短縮するために走る
「走り」の行法は天界の菩薩達の修行を見た実忠和尚が地上でも行いたいと願ったところ「天界の1日は地上の400年にあたるからムリだ」と言われ、「それでは走ってでもお勤めします」と答えたことが由来です。
そのため連行衆は袈裟や衣をたくし上げて内陣を走り回り、最後に礼堂で五体板に膝を全身で打ち付けます。
全員が終わると最後に香水を一滴いただくことができます。一日一食で昼食を食べる以外水分も口にできないので、その香水は本当に甘露だそうです。
達陀は全ての煩悩を焼き尽くすために激しい
3月12日から「達陀(だったん)」が始まります。大松明が火の粉をまき散らしながら、鈴や法螺貝、錫杖の音に合わせて二月堂内を廻ります。
達陀の語源はサンスクリット語の「焼き尽くされる」「滅ぼし尽くされる」という意味のダッタが由来と考えられています。
最後に松明が礼堂に引き出され、松明役の火天と水天が向き合いダイナミックに三度跳躍したら床に打ち付けられます。
ちなみに二月堂は国宝です。二月堂に向かうための御松明の時には消防士が下で控えていますが、二月堂内には消防士は控えていないようです。国宝なのに火事の危険がある行法をするってスゴイですよね。
3月2日に若狭の神宮寺ではお水送りが行われる
遠敷明神の地元である福井県小浜市にある神宮寺では3月2日に、神宮寺で汲まれた香水を東大寺・二月堂の若狭井に向けて送りだします。100キロ以上ある距離を10日間かけて届くと言われています。
神宮寺とは神様をお守りするために立てられてお寺で、神威の高い神社には神宮寺が建てられました。もちろんこちらの神宮寺は若狭一宮である若狭姫・彦神社の付随のお寺になります。
神宮寺横を流れる遠敷川の上流の鵜ノ瀬でお水送りが行われます。
私は神仏習合の世界にいないのでわかりませんが、僧侶が神道的なことをしている事が多いようなきがしますね。僧侶が祝詞を読むことがあっても、神職が神前でお経をよむことはありません。
神仏習合ってオカルト的な不思議さがあって面白いですよね。