「毎日を丁寧にすごしたい」「暮らしを豊かにしたいな」と思ったら暦を活用してみてはいかがでしょうか。
暦を見ると大安仏滅友引、一粒万倍日、天赦日などが書かれており、今日はどんな日かわかります。それに合わせて今日を「どう過ごそうか?」と考えるとわくわくしませんか?
今日は2月17日、祈年祭が行われる日です。祈年祭について書いてみたいと思います。
暦生活をはじめてくなったら、まずはこの一冊から!
五穀豊穣を祈る祈年祭
祈年祭は宮中三殿や伊勢神宮をはじめ全国各地の神社で行われる五穀豊穣を祈願するお祭りです。「きねんさい」または「としごいのまつり」と呼びます。
年は月日の一年ではなく、穀物、特に稲のことをさしています。神話の時代の天皇が長生きだったのは、穀物の収穫サイクルを1年としていたため、二期作でお米をつくっていたんじゃないかという説があります。
伊勢神宮崇敬会の『お伊勢まいり』によれば「神饌を奉って、五穀の豊かな稔をお祈りする大御饌の儀と、勅使が参向して奉仕される奉幣の儀の二つの祭典」が行われます。
また神宮の公式サイトには「農耕が生活の中心であった時代、豊作を祈ることは国家の安泰、国民の繁栄を祈ることに他なりません」と書かれています。
この祈年祭の対になるお祭りが神嘗祭です。神前に初穂や稲穂、新米を供え収穫を感謝します。
祈年祭の成り立ち
祈年祭は明治の改暦から2月17日となりましたが、それまでは2月4日に行われていました。
もともとは春の農耕儀礼として行われていました。天武天皇の時代に中国の大祀祈穀が取り入れられ律令国家祭祀として成立しました。
当初は朝廷で行われる祈年祭と地方で行われる祈年祭では少し趣が違いました。
幣帛を配り地方との結びつきを強化・確認する意味具合の強いお祭りでした。その数は3000社を超えていました。幣帛はお金です。
今では神社は初詣や厄払いなど人生や年中行事でお詣りする場所、パワースポットの感覚でしょうが、神社は姓族などの共同体でした。五穀豊穣は建前であって中央と地方の主従関係をはっきりさせる目的もあったと思います。
だんだんと朝廷へ出向く側の神主は面倒くさくなり、カタチだけのお祭りになりました。室町時代になると戦乱のため中断し明治になって再興されました。
まだ寒い時期の祈年祭
でも、ちょっと農作を始めるには2月は早いのではと思います。
これも旧暦から新暦への移行でうまく日付を変えられなかったのではないかと思います。「お米作り 一年」で検索すると3月からお米作りが始まります。全農パールライス株式会社(https://www.zpr.co.jp/fun/until/index.html)さんのサイトがわかりやすいと思います。
なぜ旧暦の2月4日、新暦の2月17日に行われるようになったのかは、調べてみましたが分かりませんでした。
- 3月にお米作りを始めるのにあたって、2月下旬からお米作り会議が始まっていたから?
- 15日は月次祭なのでその後にした?
- 旧暦は一月ほど遅いので2月4日と3月4日の中間にした?
想像するとこんな感じでしょうか。
幣帛を受けに地方からはるばる朝廷に出かけ、地元に帰るには一週間くらいはかかるでしょう。タイムラグを考えると朝廷と地方での祈年祭は違っていたと思います。(そもそも祈年祭は朝廷の言い方だと思います。)
現在、2月17日に宮中三殿と伊勢神宮では祈年祭が行われていますが、それにあわせて地方の神社も2月17日に行うこともないような気がします。そのためか、春の大祭や独自の日付でおこなう神社さんもあります。
先の暦の本で神道のことをもっと知りたいと思ったらこの辞典が一冊あれば怖いものなしですよ。