「毎日を丁寧にすごしたい」「暮らしを豊かにしたいな」と思ったら暦を活用してみてはいかがでしょうか。
暦を見ると大安仏滅友引、一粒万倍日、天赦日などが書かれており、今日はどんな日かわかります。それに合わせて今日を「どう過ごそうか?」と考えるとわくわくしませんか?
今日は2月4日。立春について書いてみたいと思います。
可愛いイラストで書かれたこの本は手元に置くにはピッタリの本です。
春のはじまりは立春から
立春は二十四節気の最初で春のはじまりを意味し、2月3日の節分の翌日または冬の土用の翌日です。
農作業などの節目や暦の雑節にある八十八夜、入梅、二百十日なども立春を起点として数えられています。旧暦では立春を一年の始まりとしていました。
しかし実際の気候からいえば、立春の頃が最も寒い時期です。それを「春が立つ」と表現するのは「寒さ極まって春の気きざす」と中国の思想に基づいています。
「立春大吉」と書かれた御札は邪気を祓い、福を招く縁起物とされています。
現代の年神様は正月にきて立春にもきているの?
さきほど、「旧暦では立春を一年の始まりとしていました」と書きました。
「新年が1月1日ではない」のってどうゆうこと?一年の始まりは1月1日で2月4日の立春にもう一度新年を迎えるので、「え?年2回も新年があるの?」とモヤモヤしていませんか?
年末の大掃除や門松に注連飾り、お餅を飾るのは年神様をお迎えするためです。松の内と言われる7日を過ぎた頃年神様はお帰りになります。
立春の前日、豆まきをして鬼を追い出し、福の神を呼び込みます。この福の神は年神様です。
つまり現在では、年神様は年に2回、約一ヶ月後にまた訪れてくれています。
「正月だから来たよ」「正月終わったから、ちょっと帰るね」「立春だからまた来たよ」ってそんな忙しいことを年神様はしてくれるのでしょうか?
あんなに忙しく年末を過ごすのに比べて節分のあっけなさ、豆まきだけで年神様が来てくれるなら年末の忙しさは何なんでしょうか?年始めの1月と2月に続けて年神様は来てくれるのはちょっと疑問におもいませんか?
モヤモヤの原因は旧暦と新暦の違い
「本来は立春をもって新年とする」と言われたときに感じる違和感は旧暦と新暦の違いが原因です。
明治6年まで使われていた旧暦は、太陽と月の運行を基準にした太陰太陽暦です。太陽の運行は季節を表し、月の満ち欠けで日付を表していました。
現在使われている暦は太陽暦であるグレゴリウス暦です。
今の感覚は日付を起点に用事や計画を立てていますが、旧暦では季節の二十四節気で動いていました。
旧暦の太陰太陽暦について
「旧暦は太陽暦プラス太陰暦で太陽暦とそんなに変わらないでしょう?」と思うかもしれませんね。名前が似ているので「体感的に同じなんじゃないか」と想像しますよね?
でも、違うのです。
旧暦では月は子丑寅卯・・・と十二支が当てはめられ一年を12ヶ月に分け、月の満ち欠けで1日、2日、3日と決まっていました。新月が1日で満月が15日でした。三日月とは新月から三日目の月をいいます。月を見て「今日は何日」と知りました。
月の満ち欠けは29日12時間43分です。一月は30日と29日で、今のように30日と31日ではありませんでした。
しかし、太陽と月の運行では一年で約11日のズレが生じます。地球は太陽の周りを365日5時間48分49秒で一周します。
1ヶ月ほど季節とずれるようになると閏月を用いて季節感と日付の一致を調整しました。常に日付と季節にズレがあるのが旧暦でした
同じ1月でも数年後には全く季節の違う1月になります。そこで、季節を表す二十四節気を暦に当てはめました。
今のように1月1日から新年と決めていたら、寒いときもあれば暖かいときもある「なんかおかしいぞ」となるので、太陽の運行で決められた二十四節気の立春を新年としました。
二十四節気について
二十四節気(にじゅうしせっき)は旧暦において季節の目安にされており、中国で発明されました。太陽の運行を冬至を起点に24等分したのが二十四節気です。
二十四節気は節と中に分けられ、節は季節に、中は月名を決め閏月の指標に使われました。
中国で季節感をもとに二十四節気が着けられました。当時の文化の中心である黄河中下流域の気候を基準に着けられています。そのまま日本でも使用しているため多少の季節感のズレが生じています。
節 | 中 | 節 | 中 | 節 | 中 |
立春 | 雨水 | 啓蟄 | 春分 | 清明 | 穀雨 |
立夏 | 小満 | 芒種 | 夏至 | 小暑 | 大暑 |
立秋 | 処暑 | 白露 | 秋分 | 寒露 | 霜降 |
立冬 | 小雪 | 大雪 | 冬至 | 小寒 | 大寒 |
冬至を起点にしているのなら「冬至から新年でもいいじゃないか」と思いますが、季節の始まりは春、夏、秋、冬の順番がしっくりくるので、これ以上寒くならない「寒さ極まって春の気きざす」と言われるように春の気が兆した時点を新年の始まりとしたのでしょう。
追加。出典が分かりませんが私のメモによると殷の時代に十二支を月にあてはめ、冬至がある月を子月としました。それから漢の時代に立春に近い頃を正月と定められました。新月が月の始まりのように冬至の一番太陽が弱い日が年の始まりだったのですね。
旧暦から新暦の移行が上手くいっていないのが現状
さて、「年神様は年に2回来てくれるのか」問題ですが、結局の所、神様次第なのでわかりません。
でも言えることは、新年が2回あるモヤモヤ感は旧暦から新暦への移行で日付が上手く適合していないからではないでしょうか。
特に節句は日付が固定されています。例えば桃の節句は3月3日です。新暦は旧暦より一ヶ月早くなりました。そのため桃の花は咲いていません。
新年も同じように1月1日にしたため、立春と一ヶ月差が出来てしまいました。立春の前日に行われる鬼遣らいは大祓行事でした。
私の勝手な想像ですが、旧暦を使っていた頃の人々はそれほど日付を信用していなかったのではないでしょうか。日にちと季節感がズレているのを知っていたので、日にちは目安でしかなかった。だから季節感の二十四節気を重要視していて、立春を新年としていた。
私たちは新年=1月1日だけども、昔は新年=立春だったのではないでしょうか。
暦に親しんでいる人のなかで、「旧暦の方が新暦よりも季節にあっている」と思っているかもしれません。その答えが分かりやすく書かれた「国立天文台の答え」(https://www.nao.ac.jp/faq/a0305.html)にありました。よかったら読んでみてください、さらに理解が深まりますよ。