このページは「古事記」をテーマに、古事記の成立についてまとめました。
重要なポイントを抑えつつも難しいことはナシに分かりやすい記事作りに努めていますので、よかったら最後までお付き合いください。
注意事項です。学術的解釈よりも信仰的解釈寄りになっています。それは、古事記について書いていく中で、「日本の心」や「神道ぽいもの」が伝わればいいなと思うからです。
現存する最古の歴史書『古事記』は尊い
あなたは「古事記」って聞いたことがありますか?
古事記とは、第40代天武天皇の御発意により稗田阿礼(ひえだのあれ)が聞き覚えた「帝紀」「旧辞」を太安萬侶が編纂し、和銅5年1月28日に第43代元明天皇に献上した上/中/下巻の三巻からなる現存する最古の歴史書です。
古事記は「こじき」と通常読みますが、「ふることふみ」や「ふることぶみ」とも読みます。
私の記憶に依れば「ふることふみ」と言うと主張したのは本居宣長で、彼は長年にわたり古事記の研究を行い「古事記伝」をまとめあげました。こちらは「こじきでん」または「ふることふみのつたえ」とよみます。
「現存する最古」の古事記の写本は1371年頃
実は歴史書の編纂は和銅5年がはじめてではありません。
聖徳太子が日本の歴史や天皇家の系譜についてまとめた「国記」「天皇記」があります。残念なことに戦乱で焼かれてしまったようで天武天皇の頃には既になかったそうです。
同じように太安萬侶が編纂したそのものの古事記は残っていません。その代わりに真福寺の住職が書き写した写本が残っています。
真福寺は愛知県名古屋市では大須観音と親しまれているお寺で地方のお寺に過ぎませんが、真福寺の住職は東大寺で皇室に近い人に仕えていたため古事記が伝わったと考えられます。
国の成り立ちを正しく伝えたかった天武天皇
古事記の序文に天武天皇の言葉として古事記が編纂された理由が書かれています。
朕聞く、諸家のもてる帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふと。今の時に当たりて其の失を改めずは、未だ幾年をも経ずして其の旨滅びむとす。これすなはち邦家の経緯、王化の鴻基なり。故、これ帝紀を選録し、旧辞を討かくして、偽を削り実を定めて、後葉に流へむと欲ふ
ここで語句説明です。
- 帝紀:歴代天皇のお名前、業績、崩御された年、御陵など系譜を中心とした記録
- 本辞(旧辞):神話、伝説、歌謡など伝承された物語
- 邦家の経緯:国家組織の原理根本
- 王化の鴻基:天皇政治の基本
「諸家」とあるので天皇や皇子を操ろうとする豪族がおり、帝紀などを自分たち一族の都合のよい歴史に変えようとしていたのでしょうね。
それで、「諸家のもてる帝紀及び本辞」が天皇家に伝わる歴史と違い、さらには虚偽が加わっていて、このままでは虚偽が真実として伝わり天皇政治が脅かされ国家組織が根本から崩れると、天武天皇は心配されました。
天武天皇が帝紀などを編纂するように命令したのは680年です。その時、舎人に記憶力の良い稗田阿礼がおり、彼に暗誦させ記憶させました。
それから時が経ち、元明天皇が太安萬侶に命令して帝紀・旧辞をまとめさせました。
御発意から30年後に元明天皇がご命令されたのはなぜか?
天武天皇が御発案され太安萬侶が編纂するまで約30年あいています。どうしてあいてしまったのでしょうか?
想像の範囲ですがそれは、遷都で忙しかったからです。
- 686年天武天皇崩御
- 694藤原京に遷都
- 701大宝律令できる
- 710平城京に遷都
一人暮らしの引っ越しレベルでもお金と時間と労力がかかります。それが都レベルで行われた遷都ですから、想像を超える大変さだったと思います。
忙しくてやっと一息つけた頃には、既に30年が経っていたんじゃないでしょうか。
古事記は歴史書でありながら物語性が高い
古事記は神代から天皇の御代へ、和歌や歌謡を混ぜながら心情豊かに語られる物語性の高い歴史書です。
上巻 | 「天地初めて発けし時」から神倭伊波礼毗古まで |
中巻 | 神武天皇から応神天皇まで |
下巻 | 仁徳天皇から推古天皇まで |
古事記の中に和歌は110首あるそうです。
そのひとつに「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作るその八重垣を」は有名ですので、どこかで聞いた事があるかもしれません。この歌が日本で最初に詠まれた須佐之男命の和歌とされています。
また、中巻には沙本毗売の兄妹愛と夫婦愛の狭間で筋を通した女性の物語は下手な恋愛小説を読むよりも面白く感動します。
また有名な日本武尊には恐れをしらない野蛮な一面や叔母である倭姫に愚痴をこぼしてしまう繊細な描写があります。
ぜひ、神話が中心の上巻だけじゃなく中巻下巻と読み進めてくださいね。
こういった歴史書なのに読み手を物語に引き込ませる力があるのは、稗田阿礼の誦習によるところが大きいでしょう。
誦習とは単なる暗記暗誦ではない
一般に誦習とは内容をよく理解しながら暗記・暗誦することをいいます。
でも、ちょっと違う気がします。
「誦」とは節をつけて読むこと、「習」は繰り返し慣れることを意味します。
古事記は太安萬侶が稗田阿礼が誦習した帝紀・旧辞を編纂したものです。極端に言い換えれば、太安萬侶が口頭筆記したものと言えますよね?すでに完成されていたのではないか、という疑問が生じます。
だから、誦習とは記録物を正しく理解したうえで、正しい意味になるように抑揚を含めどのように読むか言い伝えること、と捉えてもいいんじゃないでしょうか。
誦習した稗田阿礼どはどんな人だったのか?
実は稗田阿礼も謎につつまれています。稗田阿礼について書かれた情報は古事記序文にしかないからです。
暗記力の優れた若い男性とされていますが、男性か女性か議論が分かれます。
昔は名前をみれば誰を祖先とし、どんな仕事をしているかが分かりました。逆に、どんな仕事をしているかでどこの氏族か判断できます。
そのため、稗田阿礼は宮廷の儀式に使えた天宇受売命の子孫の猿女君の出身で女性ではないかとされています。
古事記の楽しみ方はあなた次第
以上、古事記の成り立ちについてザッと書いてきました。
- 和銅5年(712年)に太安萬侶が元明天皇に献上した
- もともとは天武天皇の御発意だった
- 古事記のもともとは稗田阿礼が暗誦していた
- 古事記は現存する最古の歴史書
- 古事記は正しい帝紀・旧辞を伝えるために作られた
次は、太安萬侶の古事記を編纂した苦労についてまとめていますので、よかったら読んでみてくださいね。
古事記は日本の成り立ちを伝えるだけではなく、当時の人の心を伝えます。712年にできたものであっても、悲しさやむなしさ、残酷さなど伝わってきます。
日本史として読むのではなく、小説として読んでもらったほうが面白いと思います。読んでいると現在と同じ地名が出てくるので、旅のお供にもいいんじゃないかなと思っています。
私は古代が好きなので古事記にでてくるようなところへ旅行するのが好きです。古事記なので奈良や三重、大阪などの近畿地方が多く登場しますが、関東にも古事記に関する場所がありますよ。
そんな場所を探して、旅をされてはいかがでしょうか?