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三重県多気郡:伊勢国佐々牟江宮を訪ねて

佐佐牟江宮参拝記タイトル 倭姫巡幸

倭姫命が天照大御神の御杖代になり各地を巡幸した場所を訪ねるシリーズです。

三重県に鎮座する伊勢神宮に奉る天照大御神はもともとは宮殿内に奉られていましたが、崇神天皇が宮殿内で共に生活を一緒にするのは恐れ多いと思われて、トヨスキイリヒメ(豊鍬入姫)に託し宮殿の外でお祀りするようになりました。

今回は令和6年5月下旬に訪れた佐々牟江宮の参拝記になります。今書いているのが令和7年6月下旬ですが、しっかり覚えていますので、最後までお付き合いくださいね。何かの参考になれば幸いです。

 

佐々牟江宮について

それより幸行して、佐佐牟江に御船泊め給い、その処に佐佐牟江宮を造り坐さしめ給いき。大若子命、「白鳥の真野の国」と国保伎白しき。その処に佐佐牟江宮社を定め給いき。

佐佐牟江の「江」は大きな河の河口で、河口とは海や湖に注ぐ河の入り口のことです。このあたりは伊勢湾に注ぐ河が多い土地です。佐佐牟江宮の近くには「笹笛川」が流れていますが、ササムエがなまって笹笛になったのかどうか、分かりません。多気郡の多気は昔は「タケ」と呼ばれていたので、竹と笹は関係がありそうな気がします。

佐佐牟江宮と指定されている場所は田んぼのど真ん中。今まで参拝したところは大抵が神社になっていたので、こういうのも物語があっていいなと思います。倭姫世記は鎌倉中期に成立された物語なので史実とされていません。そうであっても、伝承地があるのなら、きっと何かあるはずと思っています。昔、佐佐牟江宮だった土地を田んぼにするのは疑問です、土の性質や地盤は昔から変わらないと思うので、1ヶ月から数ヶ月の短い滞在期間だったのではないかと思います。

この日の予定

明野駅からバスに乗り換え、終点の山大淀で下車。まずは竹佐佐牟江神社を参拝し、大淀港から竹大與杼神社へ、バス停に戻り、佐佐牟江宮跡地、最後にカケチカラ発祥の地を訪れました。

ちょっと効率の悪い巡り方ですが、本に書かれた神社は絶対に行きたかったのですよ。前日に宿で、山大淀のバス停の時刻表をグーグルマップから検索して、予定を立てました。

明野駅のバス停で時間になっても来ないので心配していたら、10分ほど遅れて到着しました。焦りましたが、別のバス停でも10分程度待ったことがあります。そろそろ車を借りることを覚えた方がいいのでしょうが、できるかぎり公共機関で散策したいと思いますよ。

まずは竹佐佐牟江神社に参拝

この日は雨が降ったりやんだりで蒸し暑い日でした。バス停から5分くらいのところにあり、参道とは別に隣には境内地を同じくしているお寺がありました。私の近所にも常駐されていないお寺があります。宿を出発してすでに2時間近く経ったので、軒先で休憩させていただきました。

竹佐佐牟江神社の境内にも山神様が祀られていました。この神社さんを管理されている方は自作の鳥居が好きなようですね。大切なところには必ず小さな鳥居が設けられていました。

大淀海岸の禊場へ

グーグルマップをみていたら、尾野湊御禊場跡なるスポットを発見しました。「尾野湊」とは大淀海岸の昔の言い方で、ここは斎王が神宮へ向かう前に禊をされた場所だそうです。

この近くには業平松があり、親密な関係があった斎王が尾張へ向かう在原業平をこの松のところで見送ったという物語があります。その時に詠み交わした歌が説明書きにありました。

かちびとのわたれどぬれぬえにしあらば (斎王)

またあふさかの関は越えなむ(業平)

この話は在原業平をモデルにして書かれた「伊勢物語」に登場します。物語的には美しいのですが、斎王が恋をするのか、その恋が物語になってしまうのか、そこが疑問です。和歌や物語にはちょうどいい美しい題材ですが、斎王という限りなく尊い方の恋を暴露するのは不敬だなと思います。

禊場からみえる大淀海岸は入り江?というか漁港となっているため、禊場跡は民家に挟まった場所にあります。穏やかな場所であったと思いますが、当時とまったく景色が違い、斎王はどんな気持ちで禊を行い神宮へ向かったのでしょう。

竹大與杼神社へ参拝

その処より幸行したまう間に、風浪無くして、海の塩大与度に与度美て御船をして幸行せしむ。その時倭姫命悦び給いてその浜に大与度社を定め給いき。

大淀海岸から県道60号に向かう途中に神社があります。竹佐佐牟江神社よりも森が立派な気がしました。ことらも地域の人に守られている感じがします。

この神社の御祭神はすさのおの命です。天照大神じゃないんですよ。不思議ですよね。

森が立派だし御祭神が須佐之男命のせいか節末社や石からすごーく近寄りがたいパワーを感じました。

佐佐牟江宮の跡地とカケチカラ発祥の石碑

県道に出てそこから20分くらい道沿いにあるくと笹笛川にあるカケチカラ発祥の石碑にたどり着きます。

その途中、津波緊急避難場所を見ました。海から近く、避難できるような丘がありません。私が住んでいる所にはないので、初めて見ました。立体駐車場のような建物です。本当に一時しのぎの場所だと思います。大淀海岸の形状からしてここまで到着するような大きな津波はないと思いますが、今後も何もないことを祈ります。

しばらく歩くと道路に「佐佐夫江行宮跡」の看板があります。田んぼのなかの空き地にぽつんとあります。雨で地面がぬかるんでいそうだったので近くまで寄りませんでしたが、宮殿があったところなのか木が植えてあります。

雨の上休むところもないので、さすがに疲れてきました。カケチカラ発祥の石碑まで田んぼを突き抜ければあと少しなのですが、そうも行かず再び県道に戻ります。

佐佐牟江宮跡とカケチカラ発祥の地を遠くから望む
中央の白い物が佐佐牟江宮跡の説明書き、その奥の森がカケチカラ発祥の石碑があるところ

カケチカラとは懸税とかき、伊勢神宮の両宮と別宮に捧げるその年に収穫した稲穂のことをいいます。倭姫命世記では、真鶴が夜通し鳴いているのを不思議がった倭姫命が足速男命に跡を追うように命令したところ、佐佐牟江宮の近くで沢山の米をつけた稲穂を天に捧げ持つようにしている真鶴を見つけました。

その報告を受けた倭姫命が半分は収穫して、残りの半分はお供えしよう、ということになりました。それから大神の前に刈り取ったままの稲穂を掛けてお供えしたのが始まりです。

縁起のよい県道777号がありました!

以上、最後までお付き合い頂きありがとうございました。