倭姫命が天照大御神の大宮地を求めて旅をされた場所を訪ねるシリーズです。
今回は令和4年3月に、団体旅行で伊勢神宮参拝を中心に瀧原宮を訪れました。
2泊3日の旅でしたが、全部書くと疲れるので(ごめんね汗)瀧原宮だけにさせて頂きます。
三重県に鎮座する伊勢神宮に奉る天照大御神はもともとは宮殿内に奉られていました。
崇神天皇が宮殿内で共に生活を一緒にするのは恐れ多いと思われて、トヨスキイリヒメ(豊鋤入姫)に託し宮殿の外でお祀りするようになりました。
その後御代が替わり倭姫に天照大御神を託され、もっと天照大御神を奉るのに相応しい土地を求めてお供と共にご巡幸がはじまりました。
『倭姫命の御巡幸』は、ご巡幸をたどりたい人にオススメの本です。
瀧原宮について
瀧原宮は伊勢神宮内宮の別宮の神社です。
別宮とはご本宮の「わけみや」の意味で、所属の神社のなかでも特に大切にしています。内宮には10社、外宮には4社あります。
お名前 | 鎮座地 | ||
荒祭宮 | 内宮敷地内 | 伊佐奈弥宮 | 月読宮敷地内 |
風日祈宮 | 内宮敷地内 | 滝原宮 | 度会郡大紀町 |
月読宮 | 伊勢市中村町 | 滝原竝宮 | 滝原宮敷地内 |
月読荒魂宮 | 月読宮敷地内 | 伊雑宮 | 志摩市磯部町 |
伊佐奈岐宮 | 月読宮敷地内 | 倭姫宮 | 伊勢市楠部町 |
滝原竝宮は滝原宮と隣同士に並んで建てられているので一緒にお参りしました。
*瀧原宮内での看板には「瀧原」ですが、伊勢神宮崇敬会発刊の『お伊勢参り」には滝原と記されていますので、滝原でも瀧原でもどちらでもいいと思われます。ページ内混在していますが、意図はありません。
瀧原宮のアクセス
住所:三重県度会郡大紀町滝原872
駐車場は神社鳥居近くにも数台停められる駐車場があります。
滝原宮までのアクセスは私はマイクロバスで移動しましたので、少し離れた道の駅に止めて向かいました。
瀧原宮は気持ちいい安らかな境内
先に紹介しました『倭姫命の御巡幸』の『倭姫世紀』を引用します。
その処より幸行するに、美き地に到り給ひぬ。真奈胡神に、「国の名は何ぞ」と問ひ給ひき。「大河の滝原の国」と白しき。その処を宇太の大宇祢奈をして、荒草を苅り掃はしめて、宮造りして坐さしめたまひき。「この地は皇太神の欲し給ふ地にあらず」と悟りしたまひき。
倭姫命の御巡幸』伊勢国瀧原宮より
滝原宮は宮川の支流である大内川に注ぐ頓戸川添いに境内地を構えます。
伊勢神宮内宮の五十鈴川のように、滝原宮はもまた頓戸川が御手洗所となります。
山あいにあるので木々の間からさす光が苔を照らして、「ここは神域なんだなぁ」と清々しく安らかな気持ちでありながらも身が引き締まるような気持ちで参道を歩きました。
私は後で気づいので確認出来ませんでしたが、「参道の不思議」というチラシが神社外の掲示板に貼ってありました。
みなさんが行かれたときに確認して見てくださいね!
滝原宮内には神社が4社あり
滝原宮は、神域全体をさす滝原宮と神社をさす滝原宮とに分けて考えたほうがよいようです。
滝原宮敷地内には神社が4社あり、滝原宮、滝原竝宮(たきはらのならびのみや)、若宮神社、長由介(ながゆけ)神社です。
それと、もう一つ御船倉(みふなくら)があります。こちらには古い伊勢神宮内宮のご神体を納める舟形の箱が納められています。
うろ覚えで、ざっくりとした位置関係です・・・。
Wikipediaの瀧原宮の御船倉と若宮神社の位置関係が私の記憶と違うので不安ですが、『お伊勢まいり』ではこの配置です。
お参りの順は、1.瀧原宮、2.瀧原竝宮、3.若宮神社、4.長由介神社と参拝順が決まっています。
面白いですよね!
こちらの瀧原宮も20年に一度の式年遷座がありますので、倍の広さが必要となります。現在は東側、鳥居より奥側の敷地が宮地となっています。
そう考えると、若宮神社と長由介神社は遷宮がないようだし、平地ギリギリスペースで建っているように思います。
なぜに瀧原宮に4社あるのだろうか?
そもそも、なんで瀧原宮敷地内には隣接して4社が建っているのでしょうか、不思議です。
なんで滝原宮、滝原竝宮の2社があるの?
滝原宮、滝原竝宮の2社があるのが、まず不思議でした。しかも、「ならび」って、まぁ「並んでますけどねぇ」みたいなお名前だし、そのまんま過ぎます。
御祭神はどちらも天照大御神です。
もっと丁寧にいうと天照坐皇祖大御神(あまてらしますすめおおみかみ)御魂になります。
この御魂にも種類があり、和魂と荒魂があります。
内宮でも荒祭宮で天照坐皇祖大御神の荒御魂をお祀りするように、瀧原宮でも和魂と荒御魂を分けてお祀りしているようです。
若宮神社長由介神社はなんであるの?
若宮神社長由介神社の御祭神や御由緒については、よく分かっていないようです。
『お伊勢まいり』による祭神と説明です。
若宮神社 | 若宮神 | 瀧原の地に縁のある水分神を祀る |
長由介神社 | 長由介神 | 御饌の神 |
川島神社 | 川島神 | 長由介神社御同座 |
「若宮」は特定の神様ではなく、その主祭神との関係で「若宮」と名付けられることが多いです。
でも、水分(みまくり)神とあるので、水源地なのでしょうね。水が無ければお食事もできませんからね。
Wikipediaによると、お社の建て方も内宮と同じなので、天照大御神、倭姫命ご巡幸に関係した神様だと思われます。
なぜこのお宮だけ、御船倉があるの?
御船倉も不思議です。なぜここに、ご神体を納めた箱を安置するんでしょうか?
「ご神体を納めた箱」を丁寧にいうと、ご神体を納めた御樋代(みひしろ)を、更に納める舟形の「御船代」といいます。
一説には倭姫命ご巡幸で使われた御船とも言われていますが、別に厳重にお祀りしている感じではありません。
遷座したあとの敷地の真御柱のように、ちょっとした小屋(失礼)が建ててあるだけです。
「神聖なもの」から「大切なもの」になったという感じでしょうか?
「おさがり」なので、そこまで厳重に見た目では保管されていないように思えます。
瀧原宮は特別な存在だったことは確か
倭姫世記によれば、この瀧原宮の後も巡幸が続きました。現在の五十鈴川のところにたどりつくまでに3カ所廻っています。
なぜここは天照大御神が望んだ土地ではなかったのでしょうか?
私はまだ2社しか廻っていないので、感覚ですが、ちょっと不便、ちょっと奥すぎたんじゃないかと思います。
倭姫のご使命は天照大御神の宮地処を決めることですが、その臣下の使命は他国の豪族との結びつきを強固にするものだったんじゃないかと思います。
ここが伊勢神宮になってもよかった地だと思うのは次の理由です。
- 内宮と似ている
- 御船倉がある
- 別社である
- 熊野街道が通る
瀧原宮は和魂と荒魂を分けて祀っている・御手洗が神域横の川・お宮の造りが同じですし、何よりご神体を納める御船倉があるのは怪しいじゃないですか?
だから、摂社ではなく「別社」となづけ「遙宮(とおのみや)」と親しまれてきた。
熊野街道があり交通の便がよかったと考えられるので、お供え物が地方から運ばれやすいようになっていた、と思われます。
だけども、「この地は皇太神の欲し給ふ地にあらず」と倭姫が確信したのは、心理的に熊野権現に近かったんではないかと思います。
これも私の感覚だけど、伊勢神宮は陽・熊野権現は陰で昼と夜の陰陽の世界を表しているんじゃんないかと思います。
陰陽なので、もっと言えば生と死、あの世とこの世。
「神様は陰の世界に近づいちゃいけない、これ以上行ったらダメだわ」なんて思ったのかなぁと、それでもう少し海に近くて交通の便がよい処を探し求めたんじゃないかと思います。
私は今の伊勢神宮しか知らないけども、瀧原宮は観光客がいない静かな場所です。
瀧原宮は倭姫世記だけに登場するお宮なので、もしかしたら後付けなのかもしれませんが、今の伊勢神宮にとって大切で必要な神社であったには違いありません。
ちょっと不便とか言っていますが、インターからも近いし、駅からも歩ける距離です。ぜひこちらの瀧原宮の安らかさを味わってほしいです。
道中のサービスエリアでこちらのお菓子を買いました
そぼくですが、カラフルで旅のワクワクを感じます。