滋賀県米原市:淡海国坂田宮を訪ねて

倭姫巡幸

令和5年8月某日の灼熱の中、坂田宮を訪ねました。お宮の森と近くの湧水公園のおかげで境内は爽やかでした。

本によると境内をJR北陸本線が通ります。「残念だ」と書かれていますが、私には楽しみでした。

この記事では坂田宮と近くの散策をまとめています。余談が長いですが、どうぞ最後までお付き合いください。

この日の予定は岐阜に寄ってから名古屋へ

坂田駅西側から撮影

この日は滋賀県に用事があり大津から坂田に向かいました。30分ほど遅延していました。予定より1本前の時間で行動していたので、ゆっくりと駅で過ごすことができました。

米原から北陸本線になるため列車の切り離しが行われ、また電車のドア開閉はが手動で行われるので、普段は総武線を利用している身は面白い体験でした。

この日は滋賀県で用事を済ませ大津から坂田に向かいます。その後、米原か名古屋で新幹線に乗り関東へ向かう予定でした。

米原か名古屋で迷ったのは、つちやの柿羊羹をお土産にしたかったからです。米原は滋賀県で、名古屋は愛知県です。つちやは岐阜県のメーカーなので、米原にも名古屋にも売っていないのです。あわよくば鮎の甘露煮も欲しいなと考えていたので岐阜駅に寄りたかったのですよ。

30分遅延のおかげで米原駅が混んでいたため、名古屋から帰りました。新幹線ならば米原、羽島、名古屋ですが、在来線は米原から岐阜まで1時間以上かかるうえに1時間に1本という乗り継ぎ!この線は貨物列車が通るような重要な鉄道なんですが、列車は少ないのよね・・・。

しかも、坂田駅でも遅延のため待っていてヒヤッとしました。遅延の構内アナウンスが「只今長浜を出ました」とあったので、坂田駅到着のアナウンスがあるだろうと思っていました。改札外の待合室でまっていたら、アナウンスがなく静かに列車が到着したので走ってなんとか乗りましたよ!

米原はキオスク代わりのコンビニが入っているだけでも有り難い閑散とした駅です。また、坂田は駅の前に道の駅風のちょっとした売店があったり、大型ホームセンターがあります。「のんびり」はできますが便利ではありませんので、計画的に行動する必要がある場所でした。

踏切マニアならここは行くべし

駅を降りて坂田神明宮に向かう途中

私は米原から長浜方面行きの列車に乗りましたので改札口は西側となり、神社へは田んぼ側から入りました。

ぱっと見ではわかりにくいですが、確かに線路が境内を走っています。

「神明神社踏切」と書いてあります

「残念」というよりも、ひとドラマがあった感じがして面白いなと思いました。線路を遠回しさせればその分だけコストがかかる、しかも駅到着が遅くなる。地元民は坂田宮の境内地が小さくなるのは避けたい。双方の歩み寄りがあったのではないかと思われます。

境内のなかを電車が走ります、面白い~

線路が境内の脇を通っている鎌倉の御霊神社も面白いですが、坂田神明社はその上をいく面白さです。ぜひ、踏切好きならば、この坂田神明社を訪れてみてくださいね。

太鼓橋と水路の魚が立派

本にはここに子どもたちが座っていたそうです

琵琶湖と伊吹山地のためか水が豊かで、神社の周りを水が流れています。特に正面の鳥居には太鼓橋がかかり、その下を鯉が泳いでいました。近くには湧水が沸いており憩いの場が整地してあります。

倭姫は坂田宮には二年間、天照大神をお祀りして滞在されました。また御田を献上され、その後、伊勢神宮の御厨となりました。

太鼓橋の影に魚が隠れていますが、立派でした

坂田宮は「宇賀野」にあります。「宇賀野」の響きが古代からあったぽい地名で、何かを思案しているような、「この場所が気に入ったんだけども・・・・どうしようかなぁ・・・」みたいな感じがしますね。

水があってお米が美味しい、お酒造りも適していた、山地で木の実や動物もとれた・・・。料理を食べて「う~ん・・・美味しい」と言っているような感じです。二年しか滞在しなかったのか、本当はもっと短かったのだけど二年になってしまったのか。

内宮外宮が二社建つ坂田神明宮

坂田神明宮の幣殿、その奥に天照大神を祀る御神殿が見える

八年己亥、同じ国の坂田宮に遷行幸なりまして、二年斎き奉る。時に坂田君達、地口の御田を進る。

『倭姫命の御巡幸』の「倭姫世記」より

現在の坂田神明宮は内宮と外宮の二社をそれぞれお社を建ててお祀りしています。そして、向かって右側には内宮の別宮七宮と外宮の別宮四宮、左側は倭姫宮が建てられています。

御本殿、幣殿、拝殿と並ぶ立派なお宮です。境内を一周する小川も流れています。お社は南向きに建てられています。境内の南側には秡所が設けられているため、境内には東西の鳥居から入るようになっています。

御神殿が二社たてられている神社はちょっと珍しいように思います。

境内の様子

倭姫は天照大神を祀る場所を求めて行幸されたので、元伊勢ならば天照大神だけの内宮だけでも良いはずです。豊受大神は摂社か別宮で建てられてもよかったはずです。それを二社別々に建てて、幣殿を通して拝むので、変遷があるのかなと思いました。

看板に彦根城の鬼門守護と書かれています

坂田神明宮の御由緒が書かれた看板には倭姫が坂田を発たれた後すでに今のような形でお社を作ったと読めます。

それにしても地図上では真南の向きに建てられています。参道が東西にあり、境内地も東西に広い長方形で南側の土地がやや狭いのです。御神殿の向きが真南は不自然な感じがします。

神社は昔のままのようで、更新されています。その例が伊勢神宮で、二十年に一度式年遷宮があります。彦根城の鬼門守護神社であったことや明治5年に社殿を建てたとあるし、太鼓橋や用水を考えると事有ることに整地したんだろうと思います。

参拝した日も拝殿の屋根工事が行われていました。地元や氏子が昔と変わらず崇敬していることが感じられます。

坂田は神功皇后ゆかりの地

神功皇后生誕の地にたつ銅像

坂田は内助の功で知られる山内一豊のゆかりの地です。近くには一豊の母の御墓や妻の実家・若宮家があります。戦国時代は愛知・岐阜・滋賀県が舞台なので大体誰かのゆかりの地です。

そして、神道が好きならば忘れてならないのが神功皇后ですよ。応神天皇の母です。出産間近だというのに帯をきつめに締めて朝鮮へ出兵したお方です。

坂田神明宮から北陸自動車道へ向かったところに、赤子の神功皇后を抱く銅像が建てられています。

市が管理している土地のようですが、建立当時は別の団体だったのではないかな、という雰囲気があります。しかし、道路挟んだところに石屋さんがあるので、ロータリーとかライオンズとかなのでしょうか。近くに行くことはできませんでしたよ。

この日は8月上旬の日差しが眩しくて暑い日でした。坂田神明宮から徒歩で30分近くかかりました。息長族ゆかりの神社に行きたかったのですが、さらに30分歩き、帰りは1時間以上かかって歩くのは、ツライと思い銅像で引き返しましたよ。

このあたりは古墳が多く息長古墳群といわれていますよ

以上です。お付き合い頂き、ありがとうございました。