倭姫命が天照大御神の大宮地を求めて旅をされた場所を訪ねるシリーズです。
三重県に鎮座する伊勢神宮に奉る天照大御神はもともとは宮殿内に奉られていました。
崇神天皇が宮殿内で共に生活を一緒にするのは恐れ多いと思われて、トヨスキイリヒメ(豊鋤入姫)に託し宮殿の外でお祀りするようになりました。
その後御代が替わり倭姫に天照大御神を託され、もっと天照大御神を奉るのに相応しい土地を求めてお供と共にご巡幸がはじまりました。
今回は中嶋宮を求めて、愛知県一宮市今伊勢を訪れました。
コースは今伊勢駅→酒見神社→車塚古墳→斎神社→真清田神社→名鉄新一宮駅→妙興寺駅→妙興寺→一宮市博物館です。
こちらの「尾張に於ける倭比売命の巡幸伝説」を参考に廻りました。
また、こちらの『倭姫命の御巡幸』の絵が可愛らしく(エモい)内容も濃いので、ご巡幸をたどりたい人にオススメの本です。
令和4年5月13日 雨
令和4年5月13日 雨。
名鉄今伊勢駅で下車。各駅停車で新一宮駅から岐阜方面の隣の駅です。改札口があるだけのほぼ無人駅で出口は1つ。
今伊勢は倭姫が「今、伊勢よ」とお返事したから「今伊勢」になったとか地元で言われています。
あとは、この辺りのJRと名鉄が走るあたりはよく人身事故があると有名です・・・。
本日、小雨で蒸し暑いこともあり、あまりムリをしないコース選びとなりました。
コースは今伊勢駅→酒見神社→車塚古墳→斎神社→真清田神社→名鉄新一宮駅→妙興寺駅→妙興寺→一宮市博物館です。
酒見神社
駅から徒歩で10分くらいの岐阜街道とよばれる街道に面した所に酒見神社はあります。
こちらは、先ほどの紹介した本『倭姫命の御巡幸』による中嶋宮についてです。
次に尾張の国の中嶋宮に遷り坐しまして、倭姫命国保伎(くにほき)し給ふ。時に美濃の国造等、舎人、市主、地口の御田を進(たてまつ)る。並びに御船を一隻を進りき。同じ美濃の県主、角鏑を作り、御船二隻進る。「捧ぐる船は天の曽己立(そこたち)、抱く船は天の御都張(みとはり)」と白して進りき。采女忍比売、また地口の御田を進る。かれ、忍比売の子、継ぎて天平甕八十枚を作り進る。
『倭姫命の御巡幸』の「倭姫命世記」より
酒見神社の御祭神
由緒書きによると倭姫命が紀元646年6月1日に巡幸されたときに、村人が総丸柱で屋根の高いお社を作ったのが由来だそうです。その名残の倭姫社がご本殿の奥にあるそうですが、確認出来ませんでした。
他に、境内にはご本殿と御井戸の間に皇大神宮の遙拝所(祠)、(たしか)鎮魂碑、磐船があります。
噴水のある池と水神社のある池が2つあり、神馬の石像もある立派な神社です。
「尾張に於ける倭比命の巡幸伝説」(http://noukakuken.jp/lecture/lec1707.html)によると、古代は酒見神社は辺りは大きな島でその中心が酒見神社だったようです。池はその名残なんでしょうかね?
参拝途中に総代さんらしき人と挨拶を交わしました。氏子や地域の人は今も昔も天照大御神に仕えているのだなぁと清々しいというよりも荘厳さを感じさせましたよ。
お酒の神様を祀る神社
日本酒の神様を祀る三大神社(https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/culture/ceremony/ceremony02.html)は松尾大社・梅宮神社・大神神社ですが、こちらの酒見神社は清酒の醸造を始めて行った神社とされています。
境内には「栄水の井」があり、この水でお酒をつくり伊勢神宮へ奉納していました。
白酒は今の清酒で黒酒は炭が入ったお酒と聞いたことがありますが、どんな味だったんでしょうかね?飲んでみたいです。
遣唐使でもあった酒造師の大邑刀自と小邑刀自の二人が皇大神宮より大酒甕2個とともに派遣されたと文徳録に記されているそうです。
刀自って私くらいのおばさんに使う名称です。古代の方がスムーズに女性が活躍してた感じですよね。
境内にはお酒造りに関する遺跡がもう一つあります。ご本殿の右脇にある、お酒を造るときに利用した「磐船(酒槽)」です。
磐船の写真を撮ったつもりですが、なぜかブレておりました・・・。なので掲載できず。
一直線上ってそれ本当?
境内には車塚古墳で発見された鏡の看板がありました。
他にも気になる記載がありました。
中島宮址の伝説地である。またこの神社は珍しくも北面しており、鳥居から一直線上に目久井古墳があって古墳は酒見神社の祭神を葬ったところとの語り伝えがある
境内内の由緒書きより
なにかのブログで車塚古墳と酒見神社の直線上に伊勢神宮があると書かれている記事を見たようなきがします。
しかし、微妙なんですよ。
神社が「北面している」と書かれていますが、参道は確かに北東から南西に延びる線であります。その線上にご本殿があるので、北面していないと思います。それともご本殿のご神体が北向きなのかもしれません、それは確認出来ませんでした。
鳥居と本殿を結ぶ方向は東北です。その方向に車塚古墳はありますが、線上から少しずれたところにあります。線の太さ次第なんでしょうが、私には微妙なので「だいたい線上、厳密には厳しい」と言いたいところです。
車塚古墳
ちょっと戻る形になりましたが、酒見神社から10分くらい歩いたところに車塚古墳があります。
車塚古墳は前方後円墳とのことですが、近づいて見ても分からない形をしています。
古墳は民家で囲まれているので、敷地には入れないし、「ふ~ん」と眺めるだけで帰ってきました。
中嶋宮から三重に向かわれたそうなので、当時は古墳に登ってどっちに行こうかご神託をうけたんでしょうかね?
斎神社
「尾張に於ける倭比命の巡幸伝説」(http://noukakuken.jp/lecture/lec1707.html)の記事を参考に斎神社に参拝しました。
こちらも中島宮の説がある。神社は真清田神社の境外社だ。倭姫命に関わりある神社の内では最小の敷地。 神社の案内板由来には「斎宮とも幸神と号す。 倭姫命尾張國に遷幸し給う時しばらくこの地に在り、後世村人が神徳崇めて、社を創立したと伝え」云々とある。
小川克子「尾張に於ける倭比売命
の巡幸伝説」より
残念ながら、私は神社の案内板を見ることはできませんでした。
最小の敷地とのことですが狭くはありません。ご本殿脇には秋葉神社が祭られています。
すごいなーと思ったのが、酒見神社も斎神社も石が立派だったことです。
ご神殿の基礎部分や階段が大きな石で組んであるので、磐座や巨石信仰があるから神様と石は深い関係なのだな、石材店の力は神社に不可欠だなと思いました。
また、ご神殿を横から眺めると棟持ち柱が見えました。酒見神社でもご神殿には棟持ち柱がありました。
棟持ち柱といえば神明作り。神明作りは伊勢神宮。伊勢神宮と関係ある証拠ですね。
以上が、倭姫命の御巡幸に関係する場所でした。次からは私が行きたかったところです。
真清田神社はざっとお参りしただけなので、訪問記は別の機会にしますね
妙興寺駅周辺散策
神社は地域共同体の形なので、地域の歴史や風土を感じたいなぁと思い、一宮市博物館に行くことにしました。
降りた駅は妙興寺駅。
妙興寺の隣が博物館。多分、博物館は昔は境内地だったのでしょう。まずは妙興寺を訪れました。
神社とは違う、落ち着きと清らかさの妙興寺
神様の方が身近に感じるので、まずお寺には参拝しない私。
駅名にもなっているし、地元では有名なお寺なのでお参りいたしました。(偉そう・・・)
妙興寺とよんでいますが、正しくは「妙興報恩禅寺(みょうこうほうおんぜんじ)」です。
貞和4年(1348年)、滅宗宗興(めっしゅうそうこう)が開山しました。
宗興は地元の豪族中島蔵人の子であり、父母への報恩のために創建したのが、寺名の由来とされています。
今では静かなお寺ですが、当時は賑わっていたんじゃないかなと想像します。
南北朝時代、尾張の北朝勢力の拠点として隆盛を極め、延文元年(1356年)後光厳天皇より勅願寺の綸旨を賜り、貞治3年(1364年)には足利二代将軍義詮により、寺を鎌倉五山制度の諸山と同格に列さられ幕府から特別の待遇を受け、当国随一の巨刹となりました。
妙興寺で頂いたパンフレットより
国指定重要文化財の勅使門には創建当時のまま後光厳天皇より賜った勅額「国中無双禅刹」がかかっています。
後光厳天皇は室町幕府の内紛や南朝の勢力から美濃や近江に避難しておりました。そういった経緯もあって妙興寺が頼り、心のよりどころだったのでしょうね。
実はかわいい妙興寺
山門とご仏堂の間に手水社があります。腰をかけるスペースがあるので、そこでゆっくりと境内の雰囲気をお味わったり、池をみたりするのもよいと思います。
あまり参拝者のいないところなので、勇気をだして御仏堂に向かいました。
なんていうか、外と中では雰囲気が違う御仏堂でした。
外は荘厳、中はキュート。
天井画の龍は油絵で日本で唯一だそうです。
拍子抜けするような可愛い龍が仏堂を御守りしています。でも、色使いがまさに極楽のようで彩雲がきれいなのですよ。
また、大日如来と並んで普賢菩薩、文殊菩薩が奉られています。大きくて立派なのですが、御簾で脇の仏様が隠れているせいか、御簾から顔を出すようにみえる象と獅子が、これまた可愛い。
ギャップ萌えする妙興寺でした。
由緒正しいのは素敵なことです。でも、それって参拝者(私)にとっては「ふーん」で、現在がどうかのほうが重要です。
観光化されていないお寺でパンフレットに「日々道心を磨く若き雲水の道場となっています」とあるように、静かで参拝者の心も磨かれるようなお寺でした。
御利益とか観光とかではなく「心の静けさ」を求めて参拝してほしいな、と思うお寺です。
一宮市が好きになる一宮市博物館
市立の博物館なのでそれほど大きな博物館ではありませんが、集中して楽しめるちょうどいいサイズの博物館でした。
展示室は4つに分かれていて、以下のようになっています。
- いちのみや歴史絵巻、一宮市の歴史が分かる映像コーナー
- 自然と暮らす
- 人と暮らし
- 祈りと文化
縄文時代から古墳時代が好きな人には、少しもの足りないかもしれませんが「いちのみや歴史絵巻」がおすすめです。
市内には沢山の古墳があることを知りました。こちらの一宮市地図情報サイト「138マップ」埋蔵文化財情報が市内の遺跡がまとめてあるので、面白いです。
また、出土した弥生土器なかに「パレス・スタイル土器」と呼ばれる美しい土器があります。
弥生土器のヌベっとしたシンプルなイメージを覆すような美しい赤色の土器です。
ぜひ、近くで見てくださいね。
他にも分かりやすい展示になっているし、仏像を近くで拝見できるのはいいなと思います。
なかなかお金がかかっている博物館だと思うので、一宮市の豊かさを物語っているんじゃないかなと思います。ぜひ足を運んで見てくださいね。
以上が、今回の訪問記です。
最後までありがとうございました。