三重県津市:伊勢国藤方片樋宮を訪ねて

方樋宮アイキャッチ画像 倭姫巡幸

今回は令和4年12月某日に津市の藤方片樋宮の比定地である加良比乃神社の参拝記です。

この記事はシリーズもので、倭姫命が天照大御神の御杖代になり各地を巡幸した場所を訪ねています。私はこの『倭姫命の御巡幸』をもとに旅をしていますよ。

今回は神社と日本三大観音と言われる津観音と四天王寺にあわせて参詣しました。午前中に津観音と津城址を散策してからバスで加良比乃神社に参拝し、津駅に戻ると帰りの電車までに余裕があったので四天王寺にお詣りしました。

時系列に書くとアレもコレもとなるので、神社をメインに書こうと思います。よかったら最後までお付き合いくださいね。

加良比乃神社

小高い丘の上に坐す加良比乃神社

津駅の東口1番乗り場から出発の三重交通バスの警察学校行きにのり「南浦」か「藤方」で降ります。路線図は垂水からぐるっとまわるコースなので、私は「南浦」で降りました。

この日は午前中は津城周辺を散策したので、いったん「三重会館前」で下車してから警察学校行きのバスに乗りました。乗車賃は440円くらいです。

加良比乃神社の御由緒書き

神社の由緒書きによると

もともと倭姫が天照大御神の御神殿を建てて4年間お祀りしたが別の地に遷られたため、その神殿に御倉棚挙神(みくらたなあげのかみ)と伊豆能売神(いずのめのかみ)をお祀りして「加良比乃神社」とした。

名前の「加良比」ひの由来は「片樋宮」がなまったもので、水を得るのに不便であったため桶をつかったと水を引いたそうです。

たぶん「片樋宮」なので、桶ではなく樋(とい)ではないかと思います。神社は丘の片側を利用しているので、きっと御神殿近くにあった井戸からトイで水を引いていたのではないかと思います。

小雨の日に参拝したこともありますが、境内はしっとりしていること・小さな橋を渡って境内に入るので水不足ではない土地です。水源から遠い宮殿だったようです。

現在は用水にかかる橋ですが、昔は小川だったのかなと想像します

参道を進むと「方樋宮」と刻まれた石碑が参道の左脇にありました。

片樋宮と書かれています

なんかこういう石碑をみると「ここが倭姫が来た所なんだ~」って思いますよね。ただ史実かどうかは怪しいらしいので、文献に書かれた場所、ロケ地に来た的な嬉しさがありますよね。

階段を上がって拝殿の前で拝みます。

いかにも神社らしい建築ではありませんが、立派な屋根の拝殿です

ガラス越しに中を覗くと、中央は土間になっており、参列者は左右に分かれて畳に座れるようになっていました。このような造りの拝殿は近くの須賀神社でも見かけたので、この辺りではこういうタイプの拝殿が多いのでしょうか?

拝殿脇に行けるようなのでご本殿を拝むと、やはりここも神宮と同じような棟持ち柱がある神明造りでした。

加良比乃神社の御神殿もりっぱな棟持ち柱があります

参拝が終わり鳥居をでると、杖をついたおばあさんとすれ違いました。これから参拝に向かう後ろ姿が倭姫か豊鍬入姫を彷彿し、ちょっと感動しました。

津散策

ここからは加良比乃神社とあわせて廻ったところを、かいつまんで紹介します。

味わい深い門前町の津観音

9時くらいに参拝したので静かな境内でした

日本三大観音のひとつの津観音こと「恵日山観音寺大宝院」にお詣りしました。ちなみにほかの2つは、浅草寺と名古屋にある大須観音の名で親しまれている「真福寺宝生院」です。

9時くらいに参拝したので日課でお詣りに来ている人くらいしかいない静かな境内でした。

私はほかの浅草寺や大須観音にお詣りしたことがありますが、同じように立派なんですけどもキラキラしてない感じが自分の信仰観にあっていずっと拝んでいたい気持ちになりました。

津観音の花手水。明るい気分になります

観音様の御由緒に「海から拾い上げた」パターンが多いようなきがしますが、津観音も709年に本尊の聖観音菩薩像が伊勢国阿漕の浦の海中から漁師によって救い出されました。

江戸時代には国府阿弥陀如来像が江戸で公開されて全国的に名前が広がりました。阿弥陀如来は天照大御神の本地仏のため、伊勢神宮と併せてお詣りすることが多かったようです。そのため津観音にお詣りしないと「片参り」と言われたそうです。

ちなみにタイトルの「味わい深い門前町」ですが、飲み屋さんが連なった通りが近くにあります。なかなか絵になる昭和ムードのよい「のれん街」がありますよ。

津城と高山神社

津城跡の丑寅櫓
津城跡:小雨なのでせっかくの藤堂高虎の像も寂しい感じがしました

津はむかし安濃津と呼ばれ、津城も安濃津城と呼ばれます。戦国時代に造られ、信長の弟・信包(のぶかね)によって石垣やお堀を築きお城(城郭)を造り整えました。

その後、江戸時代に入り1608年に藤堂高虎が入城し、城下町が造られるなど私たちが想像する近代的なお城が完成されました。

しかし、明治の廃藩置県によって廃城となり、現在は公園となっています。

津城跡隣の高山神社

津城跡に隣接する高山神社へ参拝しました。こちらは藤堂高虎を祀る神社です。お隣の稲荷社にもあわせて参拝しました。境内は掃き清められ清々しい雰囲気の神社です。

「藤堂高虎」の名前は聞いたことあるくらいで、なんか勇ましい人なんだろうなという印象しかありません。ざっとネットで調べましたが、ふーんで終わってしまうくらいで、ごめんね。

間近で拝観できる四天王寺

歴史ある風情の津市の四天王寺

四天王寺といえば大阪の四天王寺が有名ですが、津市の四天王寺も聖徳太子によって建立されました。こちらの四天王寺のご本尊は薬師如来像を祀っています。

公式サイトには記載がありませんでしたが、当初は四天王(持国天・増長天・広目天・多聞)を祀っていたのだと思いますが、平安後期に物部美沙尾の懇願により薬師如来像が造られました。

四天王寺は神道派の物部氏との争いの勝利を祈願して建立されたのですから、物部のお嬢様が仏教を信じるっていうのも面白いご縁ですよね。

ご本堂。空襲で焼失し、52世の蜜禅定行和尚の托鉢で再建したそうです

ご本堂の外で拝むのも良いですが、せっかくなら正面右側のドアから中に入ることができます。近くでご本尊様を拝むことができますし、写真撮影も許可されています。

看板にある三面大黒天左脇に祀られています。初めて三面大黒天を拝みましたが、1メートル以上はあるでしょうか、迫力があります。怖くはないです。見慣れないお顔なので驚きです。大黒天と毘沙門天と弁財天が一緒になったお姿です。

織田信長も祈願したという三面大黒天だけあって、五穀豊穣にとどまらない全てを叶えてくれそうな頼もしい大黒天です。

その他にも魅力的な仏像があり仏像好きにはたまらないかもしれません。

奥の部屋に重要文化財である聖徳太子、藤堂高虎と正室の絵を見ることができます。ここも写真OKでした。どんだけサービス精神旺盛なんでしょうね?

ご婦人が奥の部屋にいらっしゃいますが、監視していないのでゆっくりと拝観することができます。

墓地には信長の母や高虎の正室の御墓、そのほかに偉人の御墓があります。奥の一番高いところにあるので気をつけてお参りくださいね。信長の母君は本能寺の変後、信包を頼って津で過ごしました。

こちらの四天王寺は御朱印に力をいれているようで季節ごとに趣向を凝らした御朱印をされています。しかも、御朱印の撮影記念台まで用意してくれているので、お受けになってはいかがでしょうか?

四天王寺と津観音の御朱印を記念撮影

神話の時代から続く津の歴史を楽しんでくださいね。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭で歌われるくらい伊勢と津は深い関係だったんですね。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。